沿革・歴史COMPANY HISTORY
1927年 | 創業者、山本克雄が瓦葺き師として独立起業 |
---|
創業97年 山本瓦工業
「瓦屋の勘ちゃん」創業者
山本克雄氏
「この魔法瓶を壊したのも勘ちゃんだった。勘ちゃんはいつも遊びに来ると、私の枕許に坐っては魔法瓶をねめ廻し、どうしてもそこから湯が出て来るところを見たいらしく、
「ほんとにお湯が出るか。湯なんか出るもんか。嘘にきまってらあ」
と、そんな言葉で私をけしかけた」井上靖 短編小説集あかね雲収録「魔法瓶(まほうびん)」(1967年)より
創業者の山本克雄氏は昭和の文豪井上靖の短編小説「魔法瓶」(1967年)に登場する。
幼い主人公が、父親の滞在先である豊橋を訪ねたときに出会った「瓦屋の勘ちゃん」のモデルとされる。克雄氏の父が瓦を製造するための木型をつくる職人だったことから、この呼び名が付けられた。
豊橋の大正時代の情景を残す文学で「やんちゃなとよはしっ子」として描かれた克雄氏は、長じて瓦葺師となる。地元の職人のもとで修行した後、20代で独立する。
当時は瓦の窯元から、住宅の瓦施工を請け負っていた。瓦葺師は大工と比べると人数が少ないため、住宅建築の現場で重宝され、実入りも良かったという。
昭和40年ごろの山本克雄氏(右)
1927年 | 豊橋市鍛冶町にて瓦屋根工事業を開始 |
---|---|
1968年 | 有限会社山本瓦工業として法人化 |
克雄氏の四男で会長(現監査役)の弘光氏は「酒好きの怖い職人である反面、商売人の気質もあった」と生前の克雄氏を評価する。商売上手な側面を持つ克雄氏の性格が、業容の拡大に積極的な同社の下地を作った。
昭和30年ごろ、克雄氏は住宅を建築する工務店から直接、施工を受注するようになる。瓦の窯元の下請けを続けるだけでなく、自ら瓦施工の需要獲得に動き始めた。
高度経済成長期で住宅市場は活況を呈し、瓦の需要は右肩上がりで伸びた。瓦施工の業績も急成長して1968年の会社設立に至った。
この時期に事務機器の営業をしていた弘光氏(現監査役)が入社する。これを機に、企業にとって欠かせない営業力の強化に本格的に取組み始めた。
「すでに、将来は瓦がなくなる危機感はあった」と弘光氏は当時を振り返る。
「土壁の家が少なくなるなど、住宅の建築様式が大きくかわってきた。プレハブ造の工業化住宅が急増し、瓦屋根は古いものと認識されだしていた。」
1971年 | 山本瓦工業株式会社に改組(初代社長/山本正明氏) |
---|---|
1979年 | 山本信之が2代目社長に就任 |
2010年 | 山本武司(現社長)が3代目社長に就任 |
2012年 | 豊橋市前田町2丁目の自社ビルに本社を移転 |
2015年 | 外装リフォーム専門店「ガイソー豊橋店」ショールームオープン |
市場が縮小していく中、瓦施工の事業で生き残るため、地域の工務店に替わり台頭していたハウスメーカーへの営業に乗り出した。こうした営業活動をする瓦施工店が他に例が無かったため、いち早くハウスメーカーからの瓦の受注を獲得することができた。
その結果、瓦施工では地域で確固たる地位を築いている。同社の推移によると、現在は東三河築で30%以上のシェアを握っているという。
瓦施工のシェア拡大に取り組む一方、外壁や雨どいなど住宅の外装を総合的にメンテナンスするサービスにも力を入れてきた。 外装リフォーム専門店のボランタリーチェーンにも加盟して、サービスの領域を広げている。
業務拡大を進める現社長の武司氏は「お客さまのライフスタイルを提案できる施工業者でありたい」とさらに高みを目指している
2016年 | 株式会社スマートルーフを山本瓦工業株式会社へ事業統合 |
---|---|
2019年 | 山本瓦工業グループの「外装リフォームショールーム」としてリニューアルオープン |